milkuchenのジィジ。
帰社するなり、「ふぅ。」とか「あぁ〜。」とか
「うんっ!?」とか、独り言やら何やら発している
いつもながらの声がしません。
デスクの周りもすっからかん。
サングラスのような眼鏡をかけた
いつもコミカルな初老の人は、もういません。
気が付けば、12年近く当たり前のように
聞いていたその声が社内に響くことは
もうないのかと思えば、冗談ではなく
涙のひとつも当然出てきます。
2009年の4月頃からひっそりと
公の場所に姿を現したmilkuchen。
今ではすっかり遠い昔の事となりましたが、
以前の職場からハミダシ者の烙印とともに
アズ・コンストラクションにやってきた、
私と会長・羽田野と大畑ジィジの3人。
展示場はおろか1棟の建築事例もなければ、
打合せルームもHPすらなく、ゼロどころか
マイナスから出発したmilkuchen。
知名度も実績もない建築会社に
一生に一度のmy homeを任せてくれる
奇特なご家族はそうそういませんでしたが、
見てもらうものが何もない状態にもかかわらず
大畑ジィジのとんでもない営業力で(笑)
なんとか漕ぎ着け完成した1棟目のmilkuchenと、
ほどなくしてOPENしたモデル.1stは、
時代の流れとニーズにマッチしたのか、
1組また1組とぜひともmilkuchenでmy homeを
という方が増え、その声に真摯に応え続けて
…今に至ります。
あっという間の12年弱の
いっしょにつくるmilkuchenの傍には
常に大畑ジィジの存在がありました。
大畑Cから始まり、時には手形コレクターと呼ばれたり
飲食店で他人の靴を履いて帰りそうになったり、
子供から「なんだオオハタか…」とガッカリされたり、
ジィジと呼ばれ(呼び)続けた野菜嫌いの大畑ジィジ。
ここ数年は言葉通り、身体に鞭打ちながらだったようで、
時折見えるシンドそうな顔と何度か会長・羽田野に
突き返された辞任届を目にしていた私からすれば
改めて私に提出されたそれを反故には出来ませんでした。
思い返せば、以前の職場で何度か一緒に仕事をした時、
「こんなとんでもない人とは二度と仕事したくない。」
と、若い頃の私は本心から思っていました。(笑)
それが何の縁か因果か、苦楽を長年共にし続け、
「この人とならこの仕事は絶対に旨くいく。」
と、いつしか私の心は変わりました。
milkuchenの成長とともに会社の成長、
もしかしたら私の成長も、
そしてスタッフ一人一人の成長もずっと
見守ってくれていたのではないでしょうか。
偉大な業績と沢山のオーナー様との唯一の関係と
数々の伝説(笑)を築き上げた大畑ジィジ。
語り尽くせない分は、大畑想い出ネタとして
これからもコラムで語り継いでいくとしましょう。
本当に長い間、お疲れ様でした。
これからの人生が、この12年以上に
充実したものになることをスタッフ一同願ってます。
milkuchenは、これから先も
大畑ジィジの想い出といっしょに
ずっとつくり続けていきます。
2020.11.21 この人が居てこそmilkuchen 二宮